あの悪夢の3年3か月・民主党のおぞましき記憶(11)左翼リベラル思想ってなんだ?

  • 2015.09.28 Monday
  • 04:37
JUGEMテーマ:民主党


寒河江幹です。

右翼・左翼と言いますが
ここでいう左翼思想とは
自らの属する国家や社会、組織を半ば無理やりに近い形で「強者」と「弱者」の二つの「階級」に分割し「平等化」し、究極的に「弱者が正しい」とする「弱者絶対視のイデオロギー」のことです。

転じて、「強者は悪であり、弱者が正しい」と言う考え方になります。
どうなるかと言うと、「弱者」が「強者」に寄生(パラサイト)することを容認することになります。

典型例が、「慰安婦慰安婦」と唱え、誠意を見せろとせびるどこかの国と同じということです。

それを民主党は、「共生」と言いました。
多くの人は、なんかこの「共生」とはいい言葉と思ってしまっています。
誰も寄生(パラサイト)を容認するなんて言ったら支援しませんからね。


リベラル主義とは何でしょうか?
フランスのサルトルが唱えました。
個人の自由が大事にされる「自由平等主義」をいいます。

ですから本来「左翼」と「リベラル」とは異なる概念なのです。

「民主主義」
「自由主義」
「共産・社会主義」
「平和・平等主義」
「個人主義」
「人権主義」

いろいろな概念が戦後、日本の社会制度の改革としてばらまかれました。
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あの悪夢の3年3か月・民主党のおぞましき記憶(10)仙谷由人 尖閣衝突事件の腰抜け対応

  • 2015.09.24 Thursday
  • 06:44
JUGEMテーマ:民主党


寒河江幹です。

現在毎日のように、中国船が領海侵犯をしています。
その原因となったのが、仙石官房長官の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件での対応であったというのは、間違いありません。

つまり、舐められてしまったのです。

のちに、対応を不服とした自衛官の映像公開によって明らかになりましたが、それがなければ仙石氏をはじめとした菅内閣は、その衝突事件を単なる事故として見過ごそうとしました。

事件後、船長 せんきゆう は不起訴処分として即座に釈放して中国へ帰国させる措置を取りました。
映像は非公開とされました。

せん被告は取り調べに
「漁船が日本につかまったことはない。撃ってこない。巡視船に撃つ勇気なんて絶対にない」と言い放ちました。
検察審査会は
「わが国の領海の警備をする実情を国民に知らしめるためにも海上保安官撮影の動画を国民に公開するように希望するものである」としましたが、その要請を握りつぶしています。

そしてこう言うのです。「法律の則って処分した」

沖縄検察庁は、不起訴処分にするのにかなり無理強いされたのは容易に察することができます。


≪仙谷由人 経歴≫

1964年 東大文Iの入学。同期に谷垣禎一がいた。
    全共闘の新左翼系学生運動家となり、安田講堂事件の時は「弁当運び」と呼ばれていた。
1971年 弁護士活動を始める。部下に福島みずほらがいる。
1990年 日本社会党公認 福島全県区より出馬し初当選。
1993年 落選 → 社会民主党を離党し旧民主党に参加
1996年 徳島1区から出馬。当選。以後4回連続当選。11月政策調査会長就任。
1997年 旧民主党内で幹事長代理に就任。
2004年 前原グループに所属 党政調会長就任 次の官房長官に
2006年 堀江メール問題で野田が引責辞任。国対委員長就任。
2008年 日銀総裁人事で指導的な役割をはたし、白川総裁にする。
2009年 行政刷新担当
2010年 国家戦略担当 追加で担当。
    行政刷新担当 → 内閣府特命担当大臣 大蔵事務次官を務めた斎藤次郎の天下りを不同意
    6月内閣官房長官就任 法務大臣兼任
 
    11月尖閣問題の対応をめぐり 参議院での問責決議案可決 
    
    →法的拘束力のない問責決議より不信任決議が優先されるとの認識を示し辞任を否決する。 
2011年 第二次菅改造内閣発足とともに官房長官退任。民主党代表代行に就任。
2012年 小選挙区で落選。比例復活もできず。引退。

<主張>

・自衛隊「暴力装置」発言
・夫婦別性制度 賛同
・事務次官制度廃止
・2009年の問題のあった日本年金機構の職員に対し、分限免職の回避や雇用の確保を要請
・竹島問題は韓国側に配慮
 
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あの悪夢の3年3か月・民主党のおぞましき記憶(9) 野田佳彦 身振り手振りで詭弁の数々

  • 2015.09.23 Wednesday
  • 06:44
JUGEMテーマ:民主党


寒河江幹です。

野田佳彦。
この方は、松下政経塾1期生です。

1987年 千葉県内一の激戦区船橋から立候補し、県議当選。2期務める。
1993年 日本新党から立候補し初当選。→羽田政権が短命に終わると新進党に参加。
1996年 千葉4区から出馬するも落選 →新進党離脱、民主党入党 
2000年 千葉4区から民主党公認立候補して当選。→ネクスト行政改革・規制改革担当大臣
2002年 「第二期民主党をつくる有志の会」を結成し、民主党党首選に出馬→鳩山代表3選される
    12月に民主党国会対策委員長就任
2005年 千葉4区から出馬して4選される。再度国会対策委員長
2006年 ライブドア堀江メール事件で引責辞任
2009年 幹事長代理 財務副大臣就任
2010年 財務大臣就任で初入閣  
2011年 小沢の支持を受けた海江田を破り、逆転で民主党代表になる→内閣総理大臣就任 


この人は、黒いものを白とはっきり言える素晴らしい詭弁氏なのです。

<消費税を5%から10%まで段階に引き上げる消費税4法案を提出>


まず野党時代、「消費税を上げ、医療費を引き上げ、定率減税を引き下げて、風邪から治りかけていた日本経済を肺炎にした」と追及していた張本人が
内閣総理大臣に就任すると、消費税増税容認に変わった。
そのコメント

その教訓は、風邪をひいているときには、やっちゃいけない、ということだと思います。

 あのぉ、まぁ、平成7年の当時というのはですねぇ、もちろん、その消費税の影響もあったと思いますけれども、あの一連の国内における金融システムの、に対する不安の問題とか、アジア通貨危機とか、等々、総合的にいろいろの、かぶさって、景気はおちこんでいきました。肺炎になりました。
当時の認識は、私は、肺炎になりそうなとき、風邪ひいているとき、やっちゃいけない、ということ、教訓だとには思ってはおります。

 今、国民はね、風邪ひいて、寝込んでいるんですよ。

 そういうときに、冷水を浴びせるようなですね、こういう負担をしたら、どんな、結果になるか、あの当時よりもっとひどい結果になるということを、私は、言っている訳です。
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